吾輩は猫になりたい

拙いなりに発信していきます。発達障害(ADHD)などについて。

10年間いじめられっ子、発達障害、統合失調症、自称元パーソナリティ障害。そんな私の「毒親」の話。Part.1

両親の話について書いていきます。

 

 

はじめに

両親は、酷いディスコミュニケーション(注 対人コミュニケーション不全を指す言葉)であり、母親は、ディスコミュニケーションに加えてゴミ屋敷人間でした。

その両親から受けた影響を、思い出して挙げられる分書いていこうと思います。

  • 学校では嫌われて当然の存在に
  • 恐ろしく不潔な環境

  • 父親から、にこやかに罵倒されるのが当たり前
  • 酒を飲むと気狂いになる父
  • ガラクタやゴミすら捨てることが出来ず、空間をゴミ山で埋め尽くす母
  • 年に1度の“大掃除”は、我が家だけ全くの別物だった
  • 幼少期の我が子にひたすら、VHSやゲームを与え続ける母
  • 今思えば、祖母も束縛や強迫観念が強い毒親に限りなく近い存在だった
  • まとめ

 上記みたいなことを、書ければいいかな…(遠い目)

 

追記か、別記事で

上記の内容を書いていきますので、よろしくお願い致しますm(_ _)m

発達障害当事者への診断に等級性を導入してはどうかという話。(ツイートログ)

こんにちは。久しぶりのブログ投稿です。

 

とはいってもツイートログまとめという感じなのですけれど。

 

今回の投稿は以前の投稿とはまた別路線で、

発達障害に段階的指標を定めてはどうかしら?」

というお話。

 

以下、私の昨日今日のつぶやきを引用。

 

(1)「軽度の発達障害」という表現について

 

 (2)診断によって等級付けされないかなという話

 

 (3)LDや知的障害と、それ以外の発達障害では扱いが変わるんだよなぁという話

 

 

ストラテラの服薬を開始。(1日目)

先日、統合失調症のために通っている病院で、ADHDの再診断を受けに行ったところ、無事に(?)ADHDの対症法であるストラテラの処方を受けることになりました。

 

私はエビリファイともう一種類の薬を処方してもらっているのですが、ネットで調べてもエビリファイストラテラの併用の例は見つけられなかったので、なかなか珍しい例なのかも知れません。

 

この間の記事(リンク接続予定)で書いていた、もう一つの代表的なADHDの処方薬であるコンサータという薬の方が目に見えた効果があるという話も目にするのですが、依存性というかコンサータ無しでは仕事が出来なくなってしまった、などの話も聞くので、コンサータを私が処方してもらうことは無いかもしれません。(チックがこれ以上増えたら困るのも大きいです)

 

今日は学校に到着して朝ごはんを食べた後の服薬でした。そして一般的にストラテラは効果が現れるまでに2週間かかるらしいです。

朝食後に服用するようにとのことだったので続けられるか不安ですが、なんとか効果が出るまで続けていきたいです。

地獄の小学生時代

音声認識でこのブログを書いています。 PCで改行などの作業をこれからしていきます。文章の細かい推敲も時間に余裕がある時に行っていくので、乱文をご了承ください。

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小学生時代は地獄そのものでした。

学年全員に嫌われ、 その原因もわからず、 毎日当たり前のように死にたい死にたいと呟いていました 。

( ただ 自分が死ぬことで 大好きだった祖母に迷惑をかけることが嫌で 生き延びていました )

ただし今思えば 私が クラスメイトに嫌われる原因は明確でした 。

まず一つとして私の育ってきた家庭環境がとても不潔だったこと 。

そして次に 、私がとても強迫観念の強い性格で 自分が嫌われる原因に気づかず、 その理由をこじつけて、 周りのことを悪者にしていたこと が 原因だと考えられます。 (詳しくは後述します)


先に述べさせていただければ 、私の 地獄のような小学生時代の大きな原因は 「家庭環境」と 「発達障害」が 2つです。

この年齢になって考えてみれば 手に取るように自分が悪かったことはわかるのに 、その自分の 生み出している原因に 気づかないところが私の異常性(発達障害の気来が強い)であったと考えます。

 

繰り返し書きますが小学生時代から強迫観念がとても強かったです。( それは年を重ねるにつれて少しずつましになっていると思われますが、未だにかなり不安です )

以下 私が 小学生から嫌われ続けた原因を 詳しく述べていきます。 先ほども述べた通り 嫌われ続けた原因は 劣悪な家庭環境と、 自分の発達障害が原因による強迫観念が2つの大きな原因です。
まず 一つ目の 家庭環境についてですが 私の両親は 今の私から見ると とても発達障害の傾向が強く そしてとても不潔でした。

今となっては 「とてもひどい」と思う ことを書くのですが 、幼稚園児の頃から 私は 髪の毛を 半年に一度洗うという習慣が 当たり前でした 。

それくらい 私の両親の 常識への 無頓着さは とてもひどかったということです 。

小学生が物心つく頃 つまり小学5年生あたりから 昔は クラスに当たり前のように馴染めていて むしろ 人気者だったくらいの 自分は だんだんと嫌われ者になっていきました。

それは今思うと 私が不潔だったことが 一番大きな引き金だったのだと思います。

そして 自分では原因がわからなかったので、 無条件でまわりに嫌われると言う 幼少期にとってはとても過酷なコミュニケーションの環境が 私の性格をどんどんボロボロにしていきました。

そして 家庭環境でもう一つひどかったことが、 私の祖母と 私の両親の 私に対するコミュニケーションの取り方が とても歪んでいたということです。

先ず(まず)祖母のことです 一番 我が家で まともな 大人だったのは この私の祖母でした。

ですが 当時まだ幼かった 私は 祖母との コミニュケーションで 彼女の悪いところを どんどん 我が身に吸収していきました。

祖母は 小学校と中学校の教師をしていて 私に対して いつも立派な生活態度を求めていました。

私は 祖母からの愛情が欲しくて それをいつも忠実に守っていました。

小学校でも それは同じで 休み時間でも 先生が話す前も いつも静かに 背筋を伸ばて 立派にしていなければならないという強迫観念がありました。

それだけならまだ可愛いものだったのですが 先ほど述べた通り 私は周りに無条件に嫌われると言う 環境にあり しかも強迫観念がとても強かったので 、その立派にしていなければならないという強迫観念を周りに押し付けていました。

「それを守れない人は人として駄目なのだ」と思っていました。

ですので 私はその強迫観念を周りに押し付け、 周りを悪い人間だと決めつけることで どんどん孤立していきました。

もう一つ 祖母から受け取った悪影響があったのですが( というかそれが 立派にしなければならないという強迫観念を さらに悪化させた原因ですが ) 祖母は 自分の好みに合わないものを 嫌いだと断言することで 孫の 精神の自由を コントロールしようとする そんな気来がありました。

文章で表現するのはとても難しいのですが。 例えば、祖母はお笑い芸人がとても嫌いでした。

幼い私がテレビを見ていると 祖母は「私はお笑い芸人が嫌いなんだ だからチャンネルを変えたい なぜ倉子はこんなものが好きなんだ お前は悪い子だ」 というようなことを いつも遠回しに言っていました。

ですから幼い頃の私は 自分の嫌いなものを そのように主張するということが コミュニケーションとして当たり前なのだと、 幼いうちの 考えの中に 刷り込まれて行きました 。

これがなければ 私は 自分を嫌ってくる周りのことを 批判的に 声高に叫ぶこともなく 人の考えは人それぞれの自由なのだと 自分の思い通りに コントロールすることは間違っているのだと 認識することができていたのかもしれません。

長くなってしまったので 両親がわたし 私に 及ぼした 悪影響については 次の記事で書こうと思います。

小学生時代からの強迫観念

音声認識でこのブログを書いています。
前回の人と仲良くなりづらいという内容についてまた詳しくお話しして行こうと思います 。

私は小中学生の頃から人とのコミュニケーションが大の苦手でした。

そして 仲の良い友達がおらず 唯一の幼馴染も私が迷惑をかけっぱなしの(でも私の静で幼なじみも孤立してしまい頼る瀬がほとんど無い状態の)つながりでした。

いまだに人とどうやって仲良くしていけばいいのかが分かりません。

これは発達障害の特性だと思うのですが 私は空気を読んで周りの定型発達者に合わせた発言をすることができません。

愛想笑いも昔から大の苦手で 幼い頃の私はとても頭が固く 偏見や認知の歪みに満ち溢れていたので 、周りの愛想笑いは 自分を偽っていることだと思い込んでいて、 まさか愛想笑いというものが コミュニケーションの潤滑油であるということが全く分かっていませんでした 。

なので私は周りのことをいつもバカにし 悪口ばかり言っていたので (家庭環境のことも相まって) 周りに必然的に嫌われるようになり 自ら周りとのコミュニケーションの機会を断っていました。

だから私は 幼少期からのコミュニケーションの機会のなさを引きずり この年齢になっても親しい友達というのがいる気がしません( ただしその腐れ縁の幼馴染とは未だにSNSでフォローしあうことができています それと数名の高校時代の同級生とは連先を交換したままでいます)

私が幼少期から一番困っていたことは 障害特有の間違った正義感の強さや強迫観念の強さでした。

暗黙のルールというものがわからず 周りとの協調性が全く無く(たしだ無自覚でした )家庭環境のせいで嫌われ、 強迫観念が強く暗黙のルールがわからなかったので、 まったく人とのコミュニケーションをうまくとることができず、 先ほども言ったように当然のようにどんどん孤立して行きました。

自殺を考えましたが、幼馴染と、当時大好きだった祖母の存在のおかげで当時は自殺未遂すら起こすこともなく 大学時代まで生き延びました ですが私は大学時代に大きく行き詰まることになります 大学時代の話はまた別の記事に書こうと思います。

人と親しくなれない病。

友達の作り方、というものが、年を取るにつれてどんどんわからなくなってきた。

 というのも、現在通っている専門学校で、知り合いはできるものの親しくなれた人というのが一人もいないからだ。

 

ADHDというのが関連しているのだろうか、私は定型発達者※のノリというのが全くもって駄目だ。

(※定型発達者=発達障害とは縁がない、脳に発達の偏りが無い人達のこと。)

 

それは大学(中退した)にいた頃の飲み会のノリであったり、普段の中の良さそうな盛り上がりを見せる会話であったり、友人同士の集まりであったり。

私はどれもだめだった。

あれは「空気を読む事ができている」と言えたのだろうか。

「その空気を壊さない盛り上がりをする」というのが私にはとてもできなかった。とてもつらかった。

自分が存在がその場の盛り上がりを阻害していることがありありと分かる事もあった。

 

発達障害者の中でもアルペルガー症候群の人は空気が読めない、というが、それはアスペルガー症候群に限ったことではないのではないだろうか。

 

現在私がしているアルバイト先では、私は同世代どうしの飲み会からハブられている。(とてもつらい)

 

世間話で「空気を壊さない」ことが出来ないから、仕方ないんだろうなぁ。

 

 

人口流出と貧富の格差について、いつかエントリを書きたい。

私が都会をうろついているとたまーに頭をよぎってくる、この国についての大きな心配事が二つある。

 

一つは、都会への人口の流出、二つ目は貧富の差についてである。

 

都会を歩いると、田舎に住むことの特異さが身に染みてしまうし、低賃金労働者のおかげで「安い」「便利」な社会が回ってきることがよくわかる。

 

この話について、気力があればいつかしっかりとしたエントリとしてまとめたいのだけれど、そんな気力も時間も無いし、いい加減にもう眠らないといけない。

 

大学で生産された若者がベルトコンベアで流されて行き都会へと移り住む世の中が怖い。

どんどん形骸化していく田舎の町が怖い。

貧富の格差が怖い。

矢辺倉子