読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

吾輩は猫になりたい

拙いなりに発信していきます。発達障害(ADHD)などについて。

地獄の小学生時代

ADHD 過去 雑記 思考 毒親

音声認識でこのブログを書いています。 PCで改行などの作業をこれからしていきます。文章の細かい推敲も時間に余裕がある時に行っていくので、乱文をご了承ください。

**********

小学生時代は地獄そのものでした。

学年全員に嫌われ、 その原因もわからず、 毎日当たり前のように死にたい死にたいと呟いていました 。

( ただ 自分が死ぬことで 大好きだった祖母に迷惑をかけることが嫌で 生き延びていました )

ただし今思えば 私が クラスメイトに嫌われる原因は明確でした 。

まず一つとして私の育ってきた家庭環境がとても不潔だったこと 。

そして次に 、私がとても強迫観念の強い性格で 自分が嫌われる原因に気づかず、 その理由をこじつけて、 周りのことを悪者にしていたこと が 原因だと考えられます。 (詳しくは後述します)


先に述べさせていただければ 、私の 地獄のような小学生時代の大きな原因は 「家庭環境」と 「発達障害」が 2つです。

この年齢になって考えてみれば 手に取るように自分が悪かったことはわかるのに 、その自分の 生み出している原因に 気づかないところが私の異常性(発達障害の気来が強い)であったと考えます。

 

繰り返し書きますが小学生時代から強迫観念がとても強かったです。( それは年を重ねるにつれて少しずつましになっていると思われますが、未だにかなり不安です )

以下 私が 小学生から嫌われ続けた原因を 詳しく述べていきます。 先ほども述べた通り 嫌われ続けた原因は 劣悪な家庭環境と、 自分の発達障害が原因による強迫観念が2つの大きな原因です。
まず 一つ目の 家庭環境についてですが 私の両親は 今の私から見ると とても発達障害の傾向が強く そしてとても不潔でした。

今となっては 「とてもひどい」と思う ことを書くのですが 、幼稚園児の頃から 私は 髪の毛を 半年に一度洗うという習慣が 当たり前でした 。

それくらい 私の両親の 常識への 無頓着さは とてもひどかったということです 。

小学生が物心つく頃 つまり小学5年生あたりから 昔は クラスに当たり前のように馴染めていて むしろ 人気者だったくらいの 自分は だんだんと嫌われ者になっていきました。

それは今思うと 私が不潔だったことが 一番大きな引き金だったのだと思います。

そして 自分では原因がわからなかったので、 無条件でまわりに嫌われると言う 幼少期にとってはとても過酷なコミュニケーションの環境が 私の性格をどんどんボロボロにしていきました。

そして 家庭環境でもう一つひどかったことが、 私の祖母と 私の両親の 私に対するコミュニケーションの取り方が とても歪んでいたということです。

先ず(まず)祖母のことです 一番 我が家で まともな 大人だったのは この私の祖母でした。

ですが 当時まだ幼かった 私は 祖母との コミニュケーションで 彼女の悪いところを どんどん 我が身に吸収していきました。

祖母は 小学校と中学校の教師をしていて 私に対して いつも立派な生活態度を求めていました。

私は 祖母からの愛情が欲しくて それをいつも忠実に守っていました。

小学校でも それは同じで 休み時間でも 先生が話す前も いつも静かに 背筋を伸ばて 立派にしていなければならないという強迫観念がありました。

それだけならまだ可愛いものだったのですが 先ほど述べた通り 私は周りに無条件に嫌われると言う 環境にあり しかも強迫観念がとても強かったので 、その立派にしていなければならないという強迫観念を周りに押し付けていました。

「それを守れない人は人として駄目なのだ」と思っていました。

ですので 私はその強迫観念を周りに押し付け、 周りを悪い人間だと決めつけることで どんどん孤立していきました。

もう一つ 祖母から受け取った悪影響があったのですが( というかそれが 立派にしなければならないという強迫観念を さらに悪化させた原因ですが ) 祖母は 自分の好みに合わないものを 嫌いだと断言することで 孫の 精神の自由を コントロールしようとする そんな気来がありました。

文章で表現するのはとても難しいのですが。 例えば、祖母はお笑い芸人がとても嫌いでした。

幼い私がテレビを見ていると 祖母は「私はお笑い芸人が嫌いなんだ だからチャンネルを変えたい なぜ倉子はこんなものが好きなんだ お前は悪い子だ」 というようなことを いつも遠回しに言っていました。

ですから幼い頃の私は 自分の嫌いなものを そのように主張するということが コミュニケーションとして当たり前なのだと、 幼いうちの 考えの中に 刷り込まれて行きました 。

これがなければ 私は 自分を嫌ってくる周りのことを 批判的に 声高に叫ぶこともなく 人の考えは人それぞれの自由なのだと 自分の思い通りに コントロールすることは間違っているのだと 認識することができていたのかもしれません。

長くなってしまったので 両親がわたし 私に 及ぼした 悪影響については 次の記事で書こうと思います。